メンタル・考え方

「いじめられる側にも原因がある」という大人がいる時代じゃ、いじめは消えない。

いじめによる悲しいニュースを見るたび、なんともいえない気持ちになります。

しかし、日本のいじめは小学校・中学校・高校だけで起きる問題ではありません。

学校生活という集団生活以外にも、ご近所だとかママ友だとか会社だとか、何かしらの組織の中に潜んでいるのです。

学校で起きる『いじめ』は深刻な社会問題。

日本では何十年も『いじめ対策』に取り組んでいるようだけど、時代に合わせてそのカタチも変化しているように感じます。

たとえば、ゆとり世代である私の両親時代には『直接的』ないじめが多かったようだけど、

私は直接的ないじめより『目には見えない』ものが多かった。



いじめがなくならない原因は、なんだろう?

そもそもいじめが蔓延する原因には何があるんだろう?

この原因は『集団の中にある常識』が深く関係していると思います。

というのも、中学生の頃、クラスの中ではとくにいじめがなかったのに、部活動内だけでいじめが起きました。

人数が少なく、1学年2クラスしかないような学校です。

授業中も休み時間も意地悪を言われないのに、放課後のチャイムが鳴って、部活という集団行動がはじまるときだけいじめられました。

ボス?みたいな女の子がいて、その子が「掃除は全部◎◎ちゃんがやって~」というと鶴の一声のように、誰も掃除をしないし、

ひとりでグラウンド整備をしていても、顧問の先生は何も言わない。(先生も意地悪されていたから、手に負えなかったのかも)

さいしょは「何か悪いことしたかな?」って不安になっていたけれど、考えるのもアホらしくなるほど幼稚だったんですよね。

その後、私が退部してからもターゲットが定期的に変わりながら部活いじめが続いたようです。

集団の中にある常識『集団心理』

生きていくなかで、何かしらの組織に属している私たち。

保育園・幼稚園・小学校・中学校・高校といった学校生活や会社だけでなく、フラッとお茶を飲むグループも、ご近所でお話する人もそう。

コミュニティーの大小に関わらず『組織』の中では集団心理が生まれます。

「誰かと行動するのって苦手なんだよね」って思っている人の中にも集団心理はあって、

たとえば、

「ひとりでわざわざスノボーには行かないけれど、みんな行くなら、行こうかな?」とか。

そういうのも集団心理から引き起こされる『パワー』。

「自分ひとりではやってみようと思えなかったモノゴトでも、みんなと一緒なら挑戦してみよう」

集団心理は勇気となることもあります。

しかし、その逆も然りで、

「ちょっと嫌な気分になったけど、わざわざ指摘することでもないか」
と心にとどめていたモヤモヤも、

「◎◎さんにまた■■されちゃって、ほんとうにイヤだわ~」と友達が言っているのを聞いて

【【私だけじゃないんだ!!◎◎さんってイヤなやつ!】】

と憎悪を倍増させることも。

ポジティブなエネルギーも、ネガティブなエネルギーも倍増させ、

勇気となることもあれば、憎悪となることもある。

それが集団心理なのです。

この心理こそ、いじめが起きる理由のひとつ。

『少しの違い』が大きな反感を生む、集団心理の罠

  • ストレスを抱えている
  • 人の気持ちが想像できない
  • 欲求不満である
  • 劣等感を抱いている

いじめをする人の特徴っていろいろあります。

「ストレスを抱えていたからいじめてたんだ。ごめんね」って言われたとしても、私は許せませんが……。

いじめが発生しやすい年代は圧倒的に10代。

年を重ねていくにつれ、人との違いを認識し、受け入れることができる人が増えてきますが、

低年齢の集団の中では「自分こそが当たり前であり、少しの違い=未知の存在だから怖い」という心理から、攻撃しなくてはという恐怖が働いています。

  • みんなより足が遅い
  • みんなよりちょっと勉強ができない
  • みんなの意見とは違う発言が多い

集団の中で比較して違いが目立つ人がいじめのターゲットになりがちです。

ちなみに、『みんなよりちょっと運動神経が良い子』より『みんなよりちょっと運動神経が悪い子』の方が標的となるのも防衛本能によるものでしょう。

そもそも学校ってこうあるべきという圧力や習慣が非常に多いです。

そういう環境の中で生活しているからこそ、『少しの違い』をもつ人を受け入れることが難しい『低年齢層』にいじめが起きやすいのかなと。

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「いじめられるあなたにも原因があるんじゃ?」という大人がいる時代じゃ、いじめは消えない

「少数派の違いを排除しようとする集団心理の中でいじめが起きやすい」

残念ながら、人間の本能的に備わっているメカニズムなのかもしれません。

しかし、いじめられるのが悪いという大人が消えない限り、いじめはなくなりません。

もしも傷つくことを言われたとき、

あなたはいじめという方法で相手に感情を表現するでしょうか?

「この人、嫌いだなぁ」と感じたとき、「あなたのことが嫌いです」というのでしょうか?

そうではないはずです。

言葉を使ったり、それでも無理なら距離を置いたりしますよね。

いじめられるのが悪いという理屈がまがい通るのであれば、

放火に遭って家事になった。けれど燃えるような家を建てたのが悪い

強盗にあった。盗まれるようなものを持ち歩くのが悪い

痴漢に遭った。そんな格好してるから悪い

給料が下がった。その会社を選んだのが悪い

こういった理屈も、通用する世の中になってしまいます。

正気の沙汰ではありませんよね。

「いじめに繋がるキッカケがあったとしても、いじめで表現するのはあかんぞ」

勉強よりも大切な部分がどうして上手く伝わらないんだろうか。

先生のブラック部活動や残業もたびたび話題になっているけれど、そもそも学校の仕組み、先生や両親の働き方。

『非効率な体質』を根本的に改善しなければ、いじめ対策にも取り組めないのかもしれない。

向き合う時間が足りないのかもしれない。

日本もそろそろ、「◎◎さんと■■さん、ケンカしてるの?フリースタイルで本音いってみない?」とか、ラップとかしちゃうような潔さ(?)があってもいいのになぁ。

苦しいけれど、今の環境だけがすべてじゃない。

学校の中にはさまざまな『あたりまえ(常識)』が潜んでいます。

けれど、そのあたりまえは、学校の中のあたりまえであって、全世界の人に通用するものではありません。

そして、もしも今、いじめに悩んでいる人がこれを読んでいるなら、私はいいたいです。

「ずっと夏休みだったらいいのになぁ」と、自由研究のテーマにしたアリの巣観察キットをぼんやり眺めて思った。

「今の私の世界は学校生活にあるけど、もしかしたら、小さな箱庭みたいなもんか」って。

そこが世界のすべてでは、ないんです。

ましてや誰かを傷つけることで心を満たすいじめっ子って、おめでたい性格。

しょ~もない箱庭の先に、もっと面白い世界が待ってくれてるよ。

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ボーボーママ
2児の母。お肉とビールが好き。フリーライターです。